「吉野公佳」の読み解き方

吉野公佳の芸能人生を変えたスキャンダル

元トップグラビアアイドルがAVデビューという打ち出しコピーも新鮮味が感じられなくなっているAVファンもいるだろう。しかし、少し見方を変えただけで、急に愛おしく感じられる女優というのは存在している。吉野公佳はそんなひとりといえるだろう。

「彼女も三十過ぎ。全盛期は過ぎている。」
「鳴り物入りで発売したと思ったら、この有り様か」
「本人の余りのヤル気のなさ、ヤラされてる感が顕著に出ていて萎えました」
「 終始「う~ん…」」
「抜けるか~!!!」

インパクト 吉野公佳 MUTEKI吉野公佳がAVデビューと銘打たれて出演した『インパクト』(MUTEKI、2008年)に寄せられたレビューの一部だ。数十件も寄せられたレビューの大半には罵詈雑言ともとれる言葉が並んでいる。 投稿者たちが、いったいなぜ憤っているのか。一見すると「作品の質」の程度に対してのように思える。だが、理由はそれだけではない。

レビューを書き込んだ人たちが評価を下すために比較している対象は、今をときめく人気AV女優ではない。各メーカーが趣向を凝らして作った企画物でもない。比較対象となっているのは、日本人ばなれしたエキゾチックなルックスでグラビアを席巻した1995年の吉野公佳なのである。

彼女の経歴を振り返ると、90年代のミューズと称するにふさわしい存在であることがわかる。まず、94年に東洋紡水着キャンペーンガール、フジテレビ・ビジュアルクイーンに選ばれたことから一気に芸能界での活動の場を切り拓いた。しかも当時は現役の女子高生グラビアアイドル。デビュー間もない時期に『高校教師』(東宝、1993年)や『新・百合族 先生、キスしたことありますか?』(にっかつビデオ、1994年)など、未成年の性や性的タブーを扱う作品に出演したことで、女子高生ながら性的に“こなれた”イメージがつくことで、ただのグラビアアイドルとは違った話題を集めることとなった。

加えて10代とは思えぬB85W58H87の抜群のプロポーション。モデル並みの168cmの高身長。スレンダーで均整のとれた身体は極上ボディの見本ともいえる芸能人だった。彼女のスタイルに魅了された男たちは数多くいるだろう。写真集『Nifty』(ワニブックス、1994年)に記録された彼女の肢体は、健康美そのものでみずみずしく弾力にあふれているのが今読んでも伝わってくる。

グラビアで話題を集めると95年には映画『エコエコアザラク』に初主演を果たす。その後、続編『エコエコアザラクII』にも主演、米米CLUBの石井竜也が監督を務めた映画『ACRI』でヌードを披露したことでも話題となった。話題の映画は立て続けにヒットし女優活動を本格的に開始して、このままトップクラスをひた走る芸能人となるのは誰の目にも明らかだった。

そんな彼女に変化が起きたのは、97年1月のことだった。当時プロ野球西武ライオンズに所属し、移籍問題の渦中にあった清原和博元選手との交際が噂される記事がスポーツ紙や週刊誌を飾っていた。

スキャンダルなどは芸能人にしてみれば、“肥やし”にでもなるところだろう。ところが、吉野公佳に持ち上がっていたのは健康問題や激痩せを指摘する声だった。これが本当ならば絶頂期からわずか1年ほどでスタイルを維持できなくなっていったことになる。 目鼻のキリッとした顔立ちから厳しい性格を感じ取る人も多いが、実際の彼女は繊細で傷つきやすい、歳相応の女の子であった。そのためにスキャンダルひとつで不安定な精神状態になるのも不思議なことではなかったのだ。

それでもスキャンダルを乗り越えて芸能活動を続けていた。極端にメディア露出を増やすことはなかったが、テレビドラマや映画、舞台など女優活動を中心にしていていた。しかし、激痩せと騒がれて以来、どこか影のある印象を拭えなくなっていった。 実際、アラフォーとなった今も根強い“日陰の女”のイメージを漂わせている。だが、女の魅力は健康美であって、吉野公佳にはその魅力が薄れているというのはいささか短絡的過ぎる。特に今回A-Vodで発売される『m』では、無難な女では引き出せない、まったく別の視点から吉野公佳の魅力を感じてもらいたいのだ。次の日陰のエロスが放つ官能ポイントで、彼女の魅力を語ってみよう。